- 2020-8-2
- 公演歴
★リレーメッセージ★更新 8.2
元中村ジャパンの武子 展久です。
今は細々としか活動してませんが一応パフォーマーとして活動してます。
自称ですが自分の事をパフォーマーと呼べるのは、「龍史さんと出会えた」からだと勝手に思います。
運動は好きで学生時代は器械体操をやっていました。ただマッスルミュージカルに出演していた体操経験者のみんなと比べるとお遊び程度のレベルですが…。
その縁もあってマッスルミュージカルのオーディションを受けました。
その時に龍史さんを初めて知りました。
舞台とは無縁に生きてきて、それこそ知ってるのはその当時も日本で公演してたシルク・ドゥ・ソレイユ(たしかサルティンバンコかな)くらいでした。
もちろん龍史さんの事は全く知りませんでした。オーディションの前にスタッフさんから龍史さんの経歴や凄さを説明されました。
今思えばかなり失礼ですが「そうなんだ、凄い人なんだ、知らないけどね」って思っただけでした。
ただオーディションの日から自分の人生は90度(180度だと言い過ぎな気がするのでこれくらいで)変わりました。
あれから長いようであっという間でした。
マッスルミュージカルや中村ジャパンで活動してる時は日々を過ごすのに一生懸命で龍史さんがいるのが当たり前で、日常すぎて、龍史さんの凄さ、有り難みをあまり感じていませんでした。
中村ジャパンをやめてから改めて気付きました。
「龍史さんの偉大さ」に。
舞台に立つ時だけではなく、何かしら難題があると、ついつい龍史さんだったらどうするかなって考えてる自分がいました。
ただ中村ジャパンをやめてからはあまり連絡をとっていなかったのでちゃんと伝えられてないのが残念です。
去年のenergyを観に行ったり、稽古場にお邪魔したりしましたが、また会えると思ってると色んな気持ちとかなかなか言わないもんですね。
もっと色々話せばよかったって後悔してます。
龍史さんの訃報の知らせが届いた時、次の舞台の稽古中でした。
しかも葬儀の日は本番中。
ネタバレになりますがその舞台の自分の最初の出番は棺から生き返るシーン。
奇しくも龍史さんが棺に入ってる時に、自分も舞台上で棺に入ってました。
葬儀には行けなかったけど、龍史さんの教えを舞台上で発揮できるように頑張りました。
龍史さんはどんな状況でも前向きに考えて、工夫して、みんなに楽しんでもらえるものを創り出していました。
正直、自分は年齢と共に身体は衰えてきています。
でも「龍史さんだったら」って考えて色々工夫して努力しようと思います。
最後に龍史さんに質問です。
「コロナってどうやって料理しますか?」
武子 展久