★リレーメッセージ★更新 20.6.18

★リレーメッセージ★  6.18 

 演出家は俺だ‼︎

龍史さんとの出会いは、大学生の頃。
ガールズミュージカルチーム「東京メッツ」のオーディションでした。龍史さんが50歳の頃だったのですね。
それから18年、毎年舞台に立ち、長い時間を一緒に過ごさせていただいて。今になってみると、たったの18年。
あっという間で夢のような時間だったんだと気付かされます。

この18年で学んだこと、身についたこと、感じたことは数えきれません。龍史さんが、「自分の魅力や良い所は、自分で気がつくものではない。それを引き出すのが演出家だ。」と仰って、しかも、「そこら辺の演出家じゃない、俺だ。」というところ。龍史さんらしくて、厳しいけど愛情に溢れていて有難くて。
自分で考えた、「意外な自分」、「できない自分」は、自作の「殻」や「見栄」でできていて、龍史さんはそれらを丁寧に、時には力ずくで剥がし、取り去ってくれました。龍史さんの生み出す、奇想天外で緻密な演出に、裸で挑む。その楽しさと見守ってくれる安心感。知らない自分に出会えたし、それを喜んでくれたことが何よりも嬉しかった。

龍史さんのつくる笑いの魅力。
私が大好きなところは、全てに普遍で、人種も文化も関係ない原点から生まれるものだということ。
些細だったり、日常的過ぎて話題にしない、普段気に留めないけど、「あるある」「わかるわかる」ってニンマリしちゃうような、あたたかい笑い。
バカバカしくて、人間が大人も子供も全員可愛く見えちゃうようなそんな笑い。
言葉を重ねて、説明するようなものじゃなくて、
直接心の懐かしい部分に触れて、揺さぶられるような。
滑稽でいい。必死すぎて笑っちゃうやつでいい。
計算は要らない。
「毎日面白いことを考えている」という龍史さんのアンテナ。時代を経て変わっていく日常の中にも、忘れてはいけない人間的な原点。それを大事に、丁寧に形にしていく作業は、簡単ではなかったけど、それを一緒に追究する時間は、私にとって必要な修行、大事なことを教えていただいた掛け替えのない時間になっていました。

笑いを追究する稽古、お芝居にしてもライブパフォーマンスでも、筋肉パフォーマンスでも、「龍史さんは厳しい」で有名と良くいわれますが、実際どうなのか?と聞かれることは多いです。
実際の話……本当にキツかったです(笑)
龍史さんは、いつも「簡単に(努力なく)人を笑わせる、感動させられるなんて思うな」、「努力は当たり前」、「努力して死んだやつは居ない!」と仰っていて、お客様に対してはもちろん、スタッフ、メンバー、自分自身に対しても、「常に謙虚でいること」を叩き込んでくれていたんです。厳しい=怖いのではなくて、人として魅力的に育てようとしてくれる、優しさでしかなかったのです。

年齢を重ねられ、体の状態も万全ではないのに、龍史さんの稽古場でアースタップを踏む姿、膝に手を当てゼーゼーと呼吸をしながら、でも嬉しそうに、「どうだ!」という顔をしてくる姿が忘れられません。謙虚に努力をする姿を、これがプロだというところを、言葉ではなく、体で、心で、教えてくれました。

入院中も「可愛い娘たち」といって、いつも気づかってくれました。言い尽くせない教えや思い出を沢山くれた龍史さんに、私はこの18年何かしてあげられたことはあったでしょうか。反発も言い合いも数えきれないくらい。叱られては教えられの繰り返し。まだ思い出にはしたくはなかったです。寂しいです。またいつものように、少し遅れて稽古場にフラっと来てほしいです。

亡くなられてから、なんだか今まで以上に、
毎日の過ごし方、日々起こる様々な出来事を見てくれているような気がしています。だからこそ、どんな道でも困難でも自分らしく、龍史さんが見出してくれたえいりらしく、歩んでいきたいと思います。

龍史さんにとって、いつまでも可愛いくて自慢の子ども達でありたい。

龍史さん、私の20代、30代、全力で温かく愛情をいっぱい注いで下さって、本当にありがとうございました。
忘れません。
少しゆっくりされたら、たまには私たちを笑わせに会いに来てくださいね♪♪
おかえいり

 

【バックナンバー】

①リレーメッセージ TERU編

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