- 2020-6-24
- 公演歴
★リレーメッセージ★ 6.24
今もどこかで
龍史さんと出会ったのは2006年冬、大学4年生で受けたマッスルミュージカルのオーディションでした。
TVでの特集が多くされていた時だったので画面上でよく見ていた龍史さん。
オーディションでのオーラが凄かったのを覚えています。
自己アピールで
「昔から目つきが悪いと指摘され苦しんだので舞台上では気をつけます。」
的な事を私はボソボソと言ったと思います。
すると実技を終えた時、龍史さんが
「目つき悪くないよ。大丈夫だよ。」
と..
優しい眼差しでした。
それからまずは練習生という形でマッスルミュージカルに入り、2組に分かれての稽古も両方参加している私を見て、龍史さんはすぐに正メンバーとして受け入れてくださいました。
とにかく龍史さんは稽古中1人1人をよく見ています。
龍史さんの教えの1つに
”努力して死ぬ者はいない”
という言葉がありました。
当時は”努力”というより、”必死”でしたが。
約1年後
2007年3月
『中村JAPANドラマティックカンパニー』
を龍史さんが立ち上げ、マッスルを迷う事なく辞め、改めてオーディションを受け合格。
それからがやっと龍史さんとの出会いという感じです。
元々私は口数が多い方ではないので、他のメンバーに比べると龍史さんとの会話は少ないかもしれません。でも、私の性格やタイプを見抜き、『三枚目』というキャラを付けてくださった時期がありました。
とにかく嬉しかった。
龍史さんは、私自身、知ることのなかった自分、別人の自分を産み出し舞台人としての私を作り上げてくださいました。
つねに、「全員が主役」と言って1人1人が引き立つ演出をしてくださいました。
普段からメンバーの事を見て、よく観察しています。性格はもちろん、服装やメイク、髪型、体型まで誰よりも把握しているんです。
稽古の休憩中、
「その服いいじゃん!」
「舞、痩せた?」
など、笑顔で話しかけてくれる龍史さん。
(今、世間ではセクハラと言われるのかな笑
これは龍史さんからの愛です。)
龍史さんを想うと出てくる顔がそれぞれ違うと思いますが、私は意外にもラフな笑顔の龍史さんの顔。
今もどこかで笑って過ごしてるのかな。。
昨年2019年11月energy秋公演
体調が優れず、なかなか本番を観る事ができなかった龍史さんが、最終日大阪に足を運び終演後のダメ出しで
「俺の作品の中で1番最高の出来。」
と少し涙を浮かべながら言いました。
TERUさんも書いていましたが、正直かなり驚きました。なんだか怖いくらい..
龍史辞書には載っていない言葉。
マッスルでも中村JAPANでも常に末っ子のような存在だった私が、コーチとして携わらせてもらっているenergy。
(ここだけの話)最初はやりたくなかった..
学生時代、16年続けた新体操もコーチをする事が嫌で離れたのに何故今..
…不安でした。
でも、命をかけて臨む龍史さんの姿、それについていこうとするスタッフ・メンバーと共に最高のモノを作りたい。このenergyという作品でコーチをさせてもらえる事が、とんでもなく幸せな事だと感じ、いつしか自分なりのコーチングを身につけようと必死になっていました。
龍史さんの魔法にかかったのです。
舞台人生の中で幸せな役割を与えて頂いた事に
心から感謝しています。
成人になってからずっと龍史ワールドで生きてきた私。だから、龍史さんが消える事はありません。
「女は歳を重ねて輝き出す」
という龍史さんの言葉を信じて磨き続けます!見ていてくださいね
今も広い世界のどこかで、1人1人を見てくれてるはず..
龍史さん、本当にありがとうございました。
そちらでも自由に過ごしてください!
龍史ワールド炸裂していいですよ!
たまのイタズラも楽しみにしています!
相川 舞
【バックナンバー】
①リレーメッセージ TERU編
②リレーメッセージ おかえいり編